南進政策を進める帝政ロシアへの備えとして、1,902年に築かれた石造りの堅牢な監視所です。直後の1,904年には日露戦争が勃発しています。 いつの時代も安全保障はとても大切です。
宗谷岬平和公園にあるます。ロシア海軍の動きを監視するための望楼といして作られた場所です。稚内で明治年代の建築物で現存する唯一のものだそうです。役割上当然のことながら眺めがいい場所にあるので展望台的に使えていいです。
宗谷岬にきて駐車場に戻る時に灯台と共に見えました。 宗谷岬の向かいにある宗谷岬公園の高台にあったので早速行ってみました。 歩いて上がりましたが車でもいけました。 明治時代の建物でバルチック艦隊を監視する為に作られたそうで歴史を感じました。 上に登ることもでき高台から宗谷岬を望むことができましたが、風が本当に強く階段から風で転びそうになりました。
宗谷海峡を睨んで建つ旧海軍の施設。宗谷海峡を望む高台にあり、昔は海峡を見張り、今となっては見物(眺める)には最高のスポット。とはいえ、中に入れるわけではなく、外から窓越しにのぞいても中に何があるわけでもない。この施設の周りにある高みは良い展望スポットになる、とは思った。
宗谷岬公園の高台にある望楼。内部に入ることはできない。 1902年に、日本海軍が宗谷海峡を監視するため建てられたもの。壁は石材を積み上げて造られており、いかにも頑丈そうである。
宗谷海峡を見張る
南進政策を進める帝政ロシアへの備えとして、1,902年に築かれた石造りの堅牢な監視所です。直後の1,904年には日露戦争が勃発しています。 いつの時代も安全保障はとても大切です。
海上を監視
宗谷岬平和公園にあるます。ロシア海軍の動きを監視するための望楼といして作られた場所です。稚内で明治年代の建築物で現存する唯一のものだそうです。役割上当然のことながら眺めがいい場所にあるので展望台的に使えていいです。
歴史を感じました
宗谷岬にきて駐車場に戻る時に灯台と共に見えました。 宗谷岬の向かいにある宗谷岬公園の高台にあったので早速行ってみました。 歩いて上がりましたが車でもいけました。 明治時代の建物でバルチック艦隊を監視する為に作られたそうで歴史を感じました。 上に登ることもでき高台から宗谷岬を望むことができましたが、風が本当に強く階段から風で転びそうになりました。
宗谷海峡を睨んで建つ
宗谷海峡を睨んで建つ旧海軍の施設。宗谷海峡を望む高台にあり、昔は海峡を見張り、今となっては見物(眺める)には最高のスポット。とはいえ、中に入れるわけではなく、外から窓越しにのぞいても中に何があるわけでもない。この施設の周りにある高みは良い展望スポットになる、とは思った。
宗谷海峡を監視
宗谷岬公園の高台にある望楼。内部に入ることはできない。 1902年に、日本海軍が宗谷海峡を監視するため建てられたもの。壁は石材を積み上げて造られており、いかにも頑丈そうである。