三重塔、本地堂、梵鐘が国の重文指定されている寺院で、もとは南宮大社の僧房だったようです。朱の鮮やかな本地堂と対照的に重みのある風合いの三重塔、共に見応えありますし、奈良時代のものとされる梵鐘も数々の戦乱や大戦時の供出などをよく逃れ今に残っているなと感慨がありました。
江戸時代に建てられた重要文化財の三重塔が目を引きます。お寺自体はあまり大きくありません。周りに人家がなく、とても静かなお寺です。
南宮大社の脇道を1kmほど西進、不破高校の間を通り抜けて到達します。天台宗の古刹ですが、かつては南宮大社の僧坊という位置づけであったようで、重文に指定されている「本地堂」「三重塔」はいずれも神仏分離の影響で南宮大社から移築されたものなのだとか。 修復されて朱色の鮮やかな本地堂、続いて極彩色の三重塔から眼下を見渡せば濃尾平野が広がります。
行基創建、天平期の古刹
三重塔、本地堂、梵鐘が国の重文指定されている寺院で、もとは南宮大社の僧房だったようです。朱の鮮やかな本地堂と対照的に重みのある風合いの三重塔、共に見応えありますし、奈良時代のものとされる梵鐘も数々の戦乱や大戦時の供出などをよく逃れ今に残っているなと感慨がありました。
行基創建、天平期の古刹
三重塔、本地堂、梵鐘が国の重文指定されている寺院で、もとは南宮大社の僧房だったようです。朱の鮮やかな本地堂と対照的に重みのある風合いの三重塔、共に見応えありますし、奈良時代のものとされる梵鐘も数々の戦乱や大戦時の供出などをよく逃れ今に残っているなと感慨がありました。
三重塔があります
江戸時代に建てられた重要文化財の三重塔が目を引きます。お寺自体はあまり大きくありません。周りに人家がなく、とても静かなお寺です。
三重塔があります
江戸時代に建てられた重要文化財の三重塔が目を引きます。お寺自体はあまり大きくありません。周りに人家がなく、とても静かなお寺です。
見ごたえある古刹
南宮大社の脇道を1kmほど西進、不破高校の間を通り抜けて到達します。天台宗の古刹ですが、かつては南宮大社の僧坊という位置づけであったようで、重文に指定されている「本地堂」「三重塔」はいずれも神仏分離の影響で南宮大社から移築されたものなのだとか。 修復されて朱色の鮮やかな本地堂、続いて極彩色の三重塔から眼下を見渡せば濃尾平野が広がります。