探勝園内にある島津家第29代忠義公の父島津久光公の像です。幕府の為に貢献したり生麦事件で薩英戦争のきっかけを作ったりと歴史に名を刻む事が多かった方です。藩主の父と言う事で藩の政にも影響を与えていたのではないかと思えます。
照国神社の本殿の東側の広い場所に、とても大きな島津斉彬公の像が立っています。その南側に、やはり巨大な、同じようなつくりの像がありました。それが、島津久光公の像でした。 島津久光という人は、斉彬の弟に当たる人で、江戸末期から明治にかけて活躍した人です。また、斉彬を祀る照国神社の元をつくった人でもあります。
島津久光公は、薩摩藩10代藩主、島津斉興の五男で、有名な島津斉彬公の異母弟に当たる人です。その島津久光公の像が、照国神社の東側の広場にありました。 少し北側には島津斉彬公の像があり、少し離れた東側には、息子であり12代藩主の島津忠義公の像もありました。3体の像は、どれも同じようなつくりの大きな像でした。
照国神社に隣接する、探勝園の中に建っています。島津久光は島津斉彬の異母弟。斉彬のあとの薩摩藩主です。近くにある忠義の像が洋装であるのに対し、和装姿です。
島津久光像
探勝園内にある島津家第29代忠義公の父島津久光公の像です。幕府の為に貢献したり生麦事件で薩英戦争のきっかけを作ったりと歴史に名を刻む事が多かった方です。藩主の父と言う事で藩の政にも影響を与えていたのではないかと思えます。
照国神社をつくった人
照国神社の本殿の東側の広い場所に、とても大きな島津斉彬公の像が立っています。その南側に、やはり巨大な、同じようなつくりの像がありました。それが、島津久光公の像でした。 島津久光という人は、斉彬の弟に当たる人で、江戸末期から明治にかけて活躍した人です。また、斉彬を祀る照国神社の元をつくった人でもあります。
名君、島津斉彬の異母弟、島津久光公の像です
島津久光公は、薩摩藩10代藩主、島津斉興の五男で、有名な島津斉彬公の異母弟に当たる人です。その島津久光公の像が、照国神社の東側の広場にありました。 少し北側には島津斉彬公の像があり、少し離れた東側には、息子であり12代藩主の島津忠義公の像もありました。3体の像は、どれも同じようなつくりの大きな像でした。
照国神社に隣接する探勝園内にあります
照国神社に隣接する、探勝園の中に建っています。島津久光は島津斉彬の異母弟。斉彬のあとの薩摩藩主です。近くにある忠義の像が洋装であるのに対し、和装姿です。