人吉城から西へ数百m進んだ、球磨川沿い近くに、老神神社がありました。あまり大きくはない神社ですが、本殿の様子はさの格式と長い歴史を感じさせる神社でした。 807年に勧請されたというこの神社ですが、現在の社殿は1628年に、相良藩主、相良長毎によって建てられたものです。社殿を見て回りましたが、建ってから400年にもなりますが、壁の浮き彫り付きの羽目板や、透かし彫りが施されているなどが見られまし...
人吉城跡から数百m西へ向かった球磨川近くに、老神神社がありました。社殿は小さ目でしたが、古いけど、その彫刻などから、歴史と格式を感じさせてくれる神社でした。 境内を掃除していた氏子総代の方が、神社について説明をしてくれました。現在の社殿は、1628年に、相良長毎によって造られたものです。先ほど見た彫刻は、桃山時代風の手法をよく残しているものだそうです。境内には、神池があり、四社の境内社が祀られ...
人吉観光のガイドマップにこちらの神社が載っています。自分は御朱印集めもしているので、旅行の際に神社を参拝を楽しみにしています。 ここは人吉の観光地として名高い場所としてはちょっと寂しいかな。社殿も小さくあまり見るべき感じはありませんでした。御朱印は賽銭箱の横に掛かれたものが置かれてあり日付を自分で入れるようになっていました。
この老神神社は創建は不明です。ただ社殿は17世紀前半に人吉藩主が再建したものです。大きさや外観は古い印象を持ちます。境内には八角形の石灯篭があります。まずらしいです。人も立ち寄らないような場所にあり静けさを感じます。
おいがみ神社という呼び名で、この地を治めていた相良藩の安産の神様でした。神社内には、珍しい八角形の燈篭が参道の真ん中に立っています。
人吉城の西に位置する歴史ある古社
人吉城から西へ数百m進んだ、球磨川沿い近くに、老神神社がありました。あまり大きくはない神社ですが、本殿の様子はさの格式と長い歴史を感じさせる神社でした。 807年に勧請されたというこの神社ですが、現在の社殿は1628年に、相良藩主、相良長毎によって建てられたものです。社殿を見て回りましたが、建ってから400年にもなりますが、壁の浮き彫り付きの羽目板や、透かし彫りが施されているなどが見られまし...
老神神社は「おいかみじんじゃ」と読みます
人吉城跡から数百m西へ向かった球磨川近くに、老神神社がありました。社殿は小さ目でしたが、古いけど、その彫刻などから、歴史と格式を感じさせてくれる神社でした。 境内を掃除していた氏子総代の方が、神社について説明をしてくれました。現在の社殿は、1628年に、相良長毎によって造られたものです。先ほど見た彫刻は、桃山時代風の手法をよく残しているものだそうです。境内には、神池があり、四社の境内社が祀られ...
期待したけれど
人吉観光のガイドマップにこちらの神社が載っています。自分は御朱印集めもしているので、旅行の際に神社を参拝を楽しみにしています。 ここは人吉の観光地として名高い場所としてはちょっと寂しいかな。社殿も小さくあまり見るべき感じはありませんでした。御朱印は賽銭箱の横に掛かれたものが置かれてあり日付を自分で入れるようになっていました。
時がかなりたった印象があります。
この老神神社は創建は不明です。ただ社殿は17世紀前半に人吉藩主が再建したものです。大きさや外観は古い印象を持ちます。境内には八角形の石灯篭があります。まずらしいです。人も立ち寄らないような場所にあり静けさを感じます。
老人神社は、産宮でした。
おいがみ神社という呼び名で、この地を治めていた相良藩の安産の神様でした。神社内には、珍しい八角形の燈篭が参道の真ん中に立っています。