天満屋から道路をはさんで三菱UFJ銀行の前に碑がありました。福山藩の医学校跡だそうです。考えてみれば福山城からも近い場所なのだなと思いました。駅前の一等地に歴史の跡がありました。
銀行前の生け垣の中にある「福山西洋医学の父・寺地強平」の顕彰碑。かつて同仁館という名の医学校・病院の跡地らしい。明治初期いちはやく西洋医学に目を向けた先人を心に留めることができました。
駅前にある三菱UFJ銀行脇の植え込みの中にこの石碑がありました。明治2年にこの場所に西洋式の医学校を併設した病院が建てられたのを顕彰し、地元の医学会が設置したものです。はっきり言って、あまり面白いものではありませんでした。
廃藩置県の前だから明治期でも「福山藩」だったのだろう。1869(明治2)年、福山藩が設けた藩立の医学校兼病院「同仁館」の跡地に建つ石碑だ。西洋医学の教育機関であると同時に、一般庶民も診療する医療機関だったという。三菱UFJ銀行福山支店の歩道側にある。
駅の南側を訪れ銀行の植え込みを探して発見しました。ちょうど通りが交差する角っこにひっそりと申し訳なさそうに控えめに碑が置かれていました。とても地味な碑なので通りを歩く人は無関心に通り過ぎていき、観光客も誰もおらず、街角の夕暮れに界隈は灯りが点るのに碑は植え込みの影に消えていきそうです。 でも、碑に書かれた史実はこれからも歴史を伝えていくことでしょう。
福山医学の始まり
天満屋から道路をはさんで三菱UFJ銀行の前に碑がありました。福山藩の医学校跡だそうです。考えてみれば福山城からも近い場所なのだなと思いました。駅前の一等地に歴史の跡がありました。
かつての医学校跡地
銀行前の生け垣の中にある「福山西洋医学の父・寺地強平」の顕彰碑。かつて同仁館という名の医学校・病院の跡地らしい。明治初期いちはやく西洋医学に目を向けた先人を心に留めることができました。
駅前広場の片隅
駅前にある三菱UFJ銀行脇の植え込みの中にこの石碑がありました。明治2年にこの場所に西洋式の医学校を併設した病院が建てられたのを顕彰し、地元の医学会が設置したものです。はっきり言って、あまり面白いものではありませんでした。
西洋医学
廃藩置県の前だから明治期でも「福山藩」だったのだろう。1869(明治2)年、福山藩が設けた藩立の医学校兼病院「同仁館」の跡地に建つ石碑だ。西洋医学の教育機関であると同時に、一般庶民も診療する医療機関だったという。三菱UFJ銀行福山支店の歩道側にある。
ひっそりと控えめな碑を発見。
駅の南側を訪れ銀行の植え込みを探して発見しました。ちょうど通りが交差する角っこにひっそりと申し訳なさそうに控えめに碑が置かれていました。とても地味な碑なので通りを歩く人は無関心に通り過ぎていき、観光客も誰もおらず、街角の夕暮れに界隈は灯りが点るのに碑は植え込みの影に消えていきそうです。 でも、碑に書かれた史実はこれからも歴史を伝えていくことでしょう。